歴 訪 概 要
【ペルー1日目】(リマ市)
6月13日(金)23:55 ペルー・リマ着
空港では外務省在ペルー日本国大使館 宇田川領事、田原副領事に出迎えていただきました。
入国手続き後、現地ガイド野田さんの案内で、宿泊ホテルのシェラトンリマホテルへ。
【ペルー2日目】(リマ市)
6月14日(土) 9:00〜
八谷マヌエル氏(八谷オスカル会長の父)が、ホテルまで出迎えていただき、その後リマ市内(パチャカマック遺跡、大統領府、アルマス広場、カテドラル、天野博物館、海岸公園等)を案内してもらいました。また、途中、八谷氏の自宅(天理教リマ支部)にも立ち寄り、奥様からおいしいお茶を入れていただきました。
特に天野博物館では、休館にもかかわらず開けていただき、ペルーのチャンカイ文化のユニークな土器と高度な織物技術を目の当たりにすることができました。
夜7時半からは、リマ市内の中華料理店でペルー佐賀県人会の皆様から歓迎会を催していただき、交流を深めた。県議会からはお土産として、佐賀錦で「おしどり」をあしらった額を送り、参加者全員に、有明海苔、小城羊羹、あめがた、黒棒などの佐賀のお菓子を送り、県人会からは銀製のインカ風のペーパーナイフをいただきました。
2世の方の中には、戦後、「勝ち組・負け組」の対立の影響で、母国語である日本語を学ばせて貰えなかったことが残念だと言われる方もおられ、当時の傷跡が深いことが伺えました
(パチャカマック遺跡にて)
(ペルー佐賀県人会の皆様と)
※注)ペルー3日目〜5日目(6月15日(日)〜17日(火)午前中)は、リマからクスコに行き、近隣の遺跡等の視察を行いましたが、経費節減の観点からも自己研修と位置付けたため、交通費・宿泊費等、公費を使わず全て私費対応としました。
【ペルー3日目】(クスコ市)
6月15日(日) 7:00〜
リマから飛行機でクスコへ向かう。予定通り昼前にクスコに到着しましたが、3400bという高地であるため、高山病対策としてそのままホテル(ノボテルホテル)で休息。
夜は、ホテル前の日本レストラン(以前は佐賀の人がオーナーだった)の眉山(マユヤマ)で、焼肉定食などを注文。(高山病なのかあまり食が進まず、アルコールも秘書の吉田君と二人でお銚子1本でした)
(二人でお銚子1本!)
(クスコ市内の石造りの町並み)
【ペルー4日目】(クスコ市〜マチュピチュ〜クスコ市)
6月16日(月) 5:30〜
マチュピチュ遺跡へ向かうため、乗り合いバスで約1時間かけてオリアンタイタンボ駅まで行き、そこからペルー鉄道のビスタドームで、アグアス・カリエンテス村で下車。
バスで20分昇ると、そこがマチュピチュ遺跡への入り口となる。
(総面積5kuの2/3を占める段々畑と背後の山々が印象的なマチュピチュ遺跡)
【マチュピチュの歴史保護区】
複合遺産
(文化、自然の両者の価値を兼ね備えた遺産)
1983年12月9日登録
尖った絶壁の山々がそびえるウルバンバ渓谷の山間、標高2,280mの頂上にあるマチュピチュ。マチュピチュとは老いた峰を意味します。山裾からはその存在を確認できないことから“空中都市”とも呼ばれるこの遺跡は、スペイン人から逃れるために、あるいは復讐の作戦を練るために、インカの人々が作った秘密都市だったともいわれている。
マチュピチュの総面積は5平方km、その約半分の斜面には段々畑が広がり、西の市街区は神殿や宮殿、居住区などに分かれ、周囲は城壁で固められている。
16世紀半ば、インカの人々は高度な文明が栄えたマチュピチュを残し、さらに奥地へと消えてしまう。その後400年以上にわたって人の目に触れることなく、1911年にアメリカ人歴史学者ハイラム・ビンガムが初めて見た時には、草に覆われた廃虚となっていた。マチュピチュにまつわる多くの謎は、未だに解明されていない。
(水 汲 み 場) (不規則で精巧な石組み)
( 太 陽 の 神 殿 )
石を削り、サイフォンの原理を使って、遺跡を隅々まで流れる水路と、カミソリの入る隙間もないと言われる花崗岩を使った石積みなどで、当時の高度な文明が偲ばれました。
気候はジャングルに属するため、雨は多く、この日も遺跡に着いた10時頃は雨でした。
なおマチュピチュ遺跡はペルー文化庁が管理していますが、訪れる観光客は、毎年うなぎのぼりで、入場料も45ドルと破格。
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帰りは、クスコ駅まで直通のビスタドームに乗車。
社内では、軽食が振る舞われたほか、乗務員さんによる山岳民族の踊りや、名産のアルパカ製品(セーターやショール等)のファッションショーがあり、お客さんの喝采を浴びていました。
(列車の乗務員さんたち)
夜は、前の日に目を付けていた、クスコ中心広場近くの韓国風レストランに行くも、「焼き肉はない。オムライスかカレーはできる」と言われ、やむなく別のレストランに入り、地元の名物のアンティクーチョ(牛ハツ串焼き等)やアボガドサラダを注文。
あとはゆっくりホテルで休みました。(高山病なのか、まだ食欲が戻らず)
(名物のアンティクーチョなど)
(クスコ市内から見えた南十字星)
【ペルー5日目】(クスコ市〜リマ市)
6月17日(火) 9:00〜
クスコからリマまで戻る予定の飛行機が3時間遅れるとのことで心配したが、出発が遅れていた早朝便に乗ることができ、午後2時頃リマ市内へ。
【ペルー5日目】(リマ市)
6月17日(火) 14:00〜
八谷オスカル会長らと、在ペルー日本大使館、ペルー日系人協会会長、日本人移住史資料館、数年前にできたばかりの日系病院等を表敬訪問しました。
目賀田大使からは、外務省が昨年から取り組みをはじめた「地方との連携強化」の説明もあり、今後は「地方と外務省の協働事業」を広げていきたいとの発言がありました。
夜は、会長さん親子と、熊本県出身の方がオーナーの「一番」というお寿司屋さんに行き、寒流の大西洋で獲れた、脂がのった魚をいただきました。
(在ペルー日本国大使館 目賀田大使と)
(ペルー日系人協会 常重会長と)
【ペルー6日目】(リマ市)
6月18日(水) 6:30〜
ペルーからブラジルへ行くために、早朝空港へ。年間30oしか降らないリマで、珍しくワイパーを使うほどの雨が降りました。
空港では、再び、外務省在ペルー日本国大使館 宇田川領事等に出迎えていただき、出国手続き等を手伝っていただきました。
(珍しい雨が降ったリマ市内)
【ブラジル1日目】(サンパウロ市)
6月18日(水) 17:00〜
夕方5時にサンパウロ空港に着き、ブラジル佐賀県人会の吉村会長、井上相談役等の出迎えを受けました。
ホテルにチェックインした後、市内の日本料理店で県人会の役員さん達が歓迎会を催していただきました。
志田副会長さんから勧められたお酒「カイピリーニャ(ポルトガル語で「田舎の娘」)」は、地元の蒸留酒に、砂糖とライムがたっぷり入ったもので、地元の名物とのこと。
(市内へ向かう途中で見た夕焼け)
(ブラジル佐賀県人会役員さん達との歓迎会(サンパウロ市内の日本料理店))
(右から志田副会長、辻前会長、西山副会長、井上相談役)
【ブラジル2日目】(サンパウロ市〜イグアスフォールズ市)
6月19(木) 5:30
イタイプーダム等の視察のため、空路イグアスフォールズへ。予定より出発が約1時間程度遅れたが、まずイグアスの滝(ブラジル側)へ行き、昼食をとった後、イタイプーダムへ向かいました
ダムへは、パラグアイとブラジルの両国が共同で行っているダム見学ツアーに参加。
最初にビジターセンターでビデオにより、ダムの構造、建設に至った経緯、建設工事の状況、更にはダム事業によって生じる地域振興の現状等を学習した後、専用バスで、発電機や展望台などのダム見学を行いました(1時間半程度)
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(以下、視察概要)
[イタイプーダム]
○概要
パラグアイとブラジルが共同建設で1975年に着工し、1991年に竣工した世界最大級のダム。
・高さ196メートル。最大落差95メートル。全長8キロ。
・総貯水量290億立方メートル。貯水池面積1350平方キロメートル(琵琶湖の約2倍)
その発電出力は1,260万キロワットで日本の原子力発電所10基に相当し、2006年現在、世界一の出力を誇る水力発電用ダムである。
中国で建設中の三峡ダム完成(2009年予定)後も、年間の発電量は世界最大を誇る。
2006年現在、パラグアイ側とブラジル側合わせて計18基の発電機を備えるが、現在新たに2基を増設中で、建造中のこの2基が完成した後の発電出力は1,400万ワットに達する見込みである。
2023年までで建設にかかる借入金が返済が終わり、その後は、周辺国への電力の売却が可能となる。
○地域等へ支援事業
・漁業への支援(ダム内に生簀設置の許可をしており、地域漁業への補償の一環としている)
・農業への支援(周辺耕作地の整備)
・地域への支援(雇用・福利厚生、職業訓練、イグアスの滝施設の整備等)
・自然保護(ダム建設地にいた野生動物等を保護するための動物園を設置)
・そのほか、様々な基金事業を行っている。
(イタイプーダムの全景)
【ブラジル3日目】(イグアスフォールズ市〜サンパウロ市)
6月20(金) 8:00〜
午前中に、アルゼンチン側からイグアスの滝を見学。
(滝と遊覧ヘリコプター)
午後から空路でサンパウロに戻り、午後ブラジル入りした古川知事、佐賀新聞社の中尾社長と合流し、夕方のブラジル佐賀県人会との夕食会に参加しました。
(石丸議長が乾杯の音頭)
(名物シュラスコ(焼き肉)料理)
【ブラジル4日目】(サンパウロ市)
6月21(土) 9:00〜
サンパウロ市内の露天朝市の見学後、ブラジル佐賀県人会会館を訪問しました。
会館に併設されている「葉隠館」での剣道の稽古を見学。
その後、会館2階の会議室で、佐賀県への技術研修生との懇談会に出席し、意見交換を行いました。
(露天朝市の見学(古川知事と))
(3年前に植樹した木の横で(県人会館前))
(剣道を指導している岸川ご夫妻と)
(研修生の皆さんとの懇談会)
昼食後、午後4時から開催された「ブラジル移民100周年記念式典」に出席。
式典の名誉会長である皇太子殿下や、実行委員長の麻生太郎代議士も参加され、参加者が数千人にも及ぶ大規模なもので、サンパウロ市内のカーニバルにも使われる両側に巨大な桟敷席がある会場で、ブラジルらしい出し物が多いパレードが昼過ぎから小雨の降る中で、間断なく続いていました。
皇太子殿下が見えられた4時半ごろからは雨も上がり、鮮やかな夕焼けの中、式典はすすみ、皇太子殿下のお言葉に、日系人はもちろん多くの人が感激の拍手を送っていました。
更に、日本の海上自衛隊とブラジルの軍隊のパレードが行われる頃には、盛り上がりも最高潮になったようでした。
(皇太子殿下と麻生太郎氏)
(石丸議長と吉村県人会会長(右隣))
式典後は、古川知事とサンパウロ州知事公邸でのレセプションに参加した後、県人会の皆さんと、ダンスホールがあるレストランで会食しました。
【ブラジル5日目】(サンパウロ市(最終日))
6月22(日) 9:30〜
サンパウロ市内のイビラプエラ公園にある開拓先没者慰霊碑をお参りした後、イピランガ独立公園など市内を散策しました。
(慰霊碑参拝)
(ブラジル・サンパウロ市内の独立公園にて)
お昼は、県人会館にある「葉隠館」で約50名の県人会の皆さんに盛大な送別会を開いてもらい、各テーブルを回って参加者と懇談しました。
県議会からはお土産として、佐賀錦で「めじろ」をあしらった額を送り、参加者全員に、有明海苔、小城羊羹、あめがた、黒棒などの佐賀のお菓子を送り、非常に喜んでいただきました。なお県人会からはブラジルの石でできた記念品をいただきました。
最後まで、県人会の皆さんと名残を惜しんだ後、先に帰国する知事とあわせて、会館を後にしました。
(県人会の皆さんとの歓談)
出発まで時間があったので、空港に行く途中、地元のプロサッカーチームの名門、サンパウロFCのスタジアム(収容人員7万人)などを見学した後、空港へ向かう。
空港では、先に知事を見送られた役員の皆さんが、まだ待っておられており、入国審査の入り口に、見えなくなるまでお見送りをしていただき、ブラジルの日系人の皆様の優しさと一途さに感激しました。
(サンパウロFCスタジアムで)
(見送りに来ていただいた県人会の役員さん達)
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