平成20年度佐賀県議会石丸博議長ペルー県人会表敬訪問
及びブラジル移民100周年記念式典出席に伴う南米歴訪

○歴訪概要

ペルー佐賀県人会表敬訪問、在ペルー日本国大使館表敬訪問、ブラジル佐賀県人会表敬訪問及びブラジル移民100周年記念式典(サンパウロ:6月21日(土))に出席。

・期 間     平成20年6月13日(金)〜6月24日(火)

・ペルー滞在   平成20年6月13日(金)〜18日(水):6日間

・ブラジル滞在  平成20年6月18日(水)〜22日(日):5日間

○目 的

日本人ブラジル移住100周年にあたる今年、日伯両政府は、平成16年9月、当時の小泉総理がブラジルを訪問した際に、2008年を「日本ブラジル交流年(日伯交流年)」として祝うことで合意し、世界最大の日系社会を有するまでになった日本人のブラジル移住の100周年を祝うことはもちろん、これに留まらず、より幅広い両国国民の間で交流事業を行なうことで、未来に向かって日伯両国の結びつきを強めることを目指しており、今年に入り、各地で経済、社会、文化、芸術、学術、観光、スポーツなど幅広い分野での交流を行なっています。

 このような中、昨年6月に「ブラジル日本移民百周年記念協会」から、佐賀県議会議長あてに「ブラジル日本移民百周年記念式祭典」(2008年6月21日、於サンパウロ市)の公式祭典への招待があり、ブラジル佐賀県人会からも強く出席要請があったため、佐賀県人の移住の歴史を振り返り、敬意を表するために、知事とともに式典出席をすることとなりました。(なお、当該式典には日本ブラジル交流年の名誉総裁である皇太子殿下も出席予定。)

 また、ペルー訪問については、一昨年が佐賀県ペルー移住百周年であり、ペルー佐賀県人会においては「八谷オスカル会長の佐賀県訪問」など記念行事を実施されていたが、佐賀県からのペルー訪問は実施しておらず、県人会からも強い要請もあっていたことから、今回のブラジル訪問にあわせ、ペルー佐賀県人会の表敬訪問等を行うこととしました。

○ 行 程

区分

月 日

地 名 等

現地時間

交通機関

スケジュール等

一日目

6/13(金)

 

 

 

 

福岡空港  発

12:00

NH-2144

 

成田空港  着

13:45

 

 

 

 

 

 

成田空港 発

17:10

NH006

 

ロサンゼルス 着

11:10

(10:00)

 

 

 

 

 

ロサンゼルス 発

13:10

LA601

 

リマ 着

23:55

 

(到着後 ホテルへ)

 

 

 

(リマ泊(シェラトン リマH))

二日目

6/14(土)

(リマ)

 

 

「パチャカマック遺跡、天野博物館」

 

 

 

「ペルー佐賀県人会歓迎会」

(八谷オスカル会長他30名)

 

 

 

(リマ泊(シェラトン リマH))

三日目

6/15(日)

 

(リマ→クスコ)

 

 

 

リマ  発  (私費対応)

9:30

2I-1117

 

クスコ 着  (私費対応)

10:45

(スターペルー)

 

 

 

 

(クスコ泊(ノボテルH))

四日目

6/16(月)

(クスコ)  (私費対応)

 

 

 

            

「マチュピチュ遺跡視察」(ツアー同行

            

 

 

(クスコ泊(ノボテルH))

五日目

6/17(火)

(クスコ→リマ)

 

 

 

クスコ 発  (私費対応)

11:05

2I-1118

 

リマ  着  (私費対応)

12:10

(スターペルー)

 

 

15:00

 

「在ペルー日本大使館表敬訪問」

 

 

 

(そのほかペルー日系人協会、ペルー日系人病院、日本人移住史資料館等訪問(八谷会長手配))

 

 

 

(リマ泊(シェラトン リマH))



6/18(水)

(リマ→サンパウロ)

 

 

 

リマ 発

10:15

TA131

 

サンパウロ   着

17:00

 

「ブラジル佐賀県人会役員との懇談会」

 

 

 

(サンパウロ泊(パークプラザH))



6/19(木)

(サンパウロ→イグアス)

 

 

 

サンパウロ 発

7:40

JJ3169

 

イグアス  着

9:10

 

「イタイプーダム発電所等視察」

 

 

 

 

 

 

 

(イグアス泊(コンチネンタルH))



6/20(金)

(イグアス→サンパウロ)

   8:30

 

イグアス国立公園視察

イグアス  発

13:30

JJ3558

 

サンパウロ 着

15:30

 

「ブラジル佐賀県人会歓迎会」

 

 

 

(サンパウロ泊(パークプラザH))



6/21(土)

(サンパウロ)

   9:00

 

「サンパウロ市内視察」

 

  12:00

 

「県人会研修生との懇談会」

 

16:00

 

「ブラジル移民100周年記念式典」

 

 

 

(サンパウロ泊(パークプラザH))



6/22(日)

(サンパウロ)

   9:00

 

「開拓先没者慰霊碑等」

「ブラジル佐賀県人会送別会」

 

12:00

 

サンパウロ 発

 22:10

UA860

 

 

 

(09:42)

(機内 泊)




6/23(月)

 

 

 

 

ワシントンD.C 着

6:52

 

 

 

 

 

 

ワシントンD.C 発

12:20

NH001

 

 

 

(14:05)

(機内 泊)




6/24(火)

 

 

 

 

成田空港 着

15:25

 

 

 

 

 

 

成田空港 発

17:55

ANA 2143

 

福岡空港 着

19:55

 

 

 

 

 

 

【ペルー概要】


●正式国名 ペルー共和国 Republica del Peru

●面積 128万5216km2(日本の約3.4倍) 

●人口 約2615万人(2006年)。首都リマには、約790万人が生活する。

●在留邦人数 2,163人(2006年10月) 日系人推定9万人(外務省)

●在日当該国人数 57,728人(2006年、法務省)

●首都 リマ Lima

●元首 アラン・ガブリエル・ガルシア・ペレス大統領 

Alan Gabriel Garcia Perez(2006年7月就任。任期は2011年7月まで)

●政体 大統領を元首とする立法、行政、司法からなる三権分立、一院制議会に基づく立憲共和制。大統領の任期は5年で連続再選は1回まで。

●民族構成 インディヘナ(先住民)47%、メスティソ(先住民とスペイン人の混血)40%、ヨーロッパ系12%、そのほか1%

●宗教 国民の95%がローマ・カトリック。宗教の選択は自由。ケチュア族の間では、大地の神パチャママなどを崇拝する土着宗教が今も根づいており、場所によってはパチャママと聖母マリアを同一視している。

●通貨単位はソルSol(複数形の場合はソーレスSoles)。略号はs/.。ソルの下にセンティモCentimoがあり、100Centimo=s/.1。2007年12月現在約US$1=s/.3。

●その他(おもな産業)鉱物資源が豊富にあり、銅、金、スズ、鉄などが輸出の多くを占める。また石油や天然ガスも産出している。農業ではレモンやライム、トウモロコシ、綿花などが代表的。また、漁業では、イワシを加工した魚油や肥料が世界に輸出されている。  

●気候と地理

 ペルー共和国は南米大陸のほぼ中央部に位置する。南半球にあるため、季節は日本と反対で、本の夏にあたるのは10〜4月。ただし、日本ほどはっきりと四季は分かれていない。南回帰線の内側にあり地図上では熱帯圏に含まれるが、地域によってまったく異なる気候をもつ。
 国土は、コスタ(海岸砂漠地域)、シエラ(アンデス山岳地域)、セルバ(熱帯雨林地域)と大きく3つの地域に分けることができる。

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国土は日本の約3.4倍、エクアドル、コロンビア、ブラジル、ボリビア、チリと国境を接しており、ほぼ赤道直下から南緯18度にわたる多様な地勢をもつ。そのため、年間を通じてほとんど雨の降らない乾燥した砂漠から、標高6000m級の雄峰が連なるアンデスの高地、ジャングルに覆われたアマゾン河流域の密林地帯まで、変化に富んだ風土と気候がひとつの国に存在している。ペルーの国土の約60%がアマゾンの熱帯雨林地域であり、流域面積世界一を誇るアマゾン河は、ペルーのアンデスを源流としてブラジルへと注いでいる。

また、かつて南米最大の帝国を築いたインカをはじめ、紀元前から栄えてきた古代文明の数々もペルーの大きな魅力のひとつであり、謎の空中都市といわれるマチュピチュ、乾燥した大地に刻まれたナスカの地上絵、ワラス近郊に残るチャビン・デ・ワンタル、チクライヨ近郊のシパン遺跡など、いまだに多くの謎に包まれた遺産が、ペルーにはいくつも残されており、何千年も昔に造られた建造物が当たり前のように現代の風景に馴染んでいるのを見ることができる。

○リマ(首都)

ペルーの首都リマは、太平洋に面したコスタと呼ばれる乾燥大地に開けた大都市。ペルーの人口の約3分の1が生活する、政治・経済の中心地である。また、沿岸を流れるフンボルト海流がもたらす豊かな海産物は、水産業も盛んにしている。今なお17世紀のコロニアル時代の繁栄の様子を色濃く残すリマの旧市街は、ユネスコの世界遺産にも登録されている。

○クスコ

クスコは11〜12世紀頃に建設され、太陽神を崇拝するインカ帝国の都として栄えた。ケチュア語で「ヘソ」を意味するこの都市には、帝国内のあらゆる地方から人々が集まり、まさに世界の中心地とされていた。

しかし、16世紀になるとスペイン人の征服がクスコにも及び、インカ帝国は一瞬にして崩壊する。征服者たちは、太陽の象徴である黄金で彩られた神殿や宮殿を破壊し、金銀を手当たりしだい略奪してインカが築いた精巧な礎石の上にスペイン風の教会を建設していった。 インカ時代の美しく精巧な石組みと、スペインのコロニアルな建築物が融合したクスコには独特な雰囲気が漂う。


【ブラジル概要】

●正式国名 ブラジル連邦共和国 Republica Federativa do Brasil

●面積 851万1965km2(日本の約23倍) 

●人口 1億8967万人(2007年)

●在留邦人数 64,802名(2006年10月現在)

(長期滞在者:2,167人、永住者:62,635人) (外務省)

(日系人総数 約150万人)

●在日ブラジル人数 約31万人(2006年末) (外務省)

●首都 ブラジリア Brasilia

●元首 ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルバ大統領

Luiz Inacio Lula da Silva(2003年1月〜。2007年10月現在2期目)

政体 大統領を元首とする連邦共和制。ブラジルは26の州と1連邦区(首都ブラジリア)から構成され、全土をNorte(北)、Nordeste(北東)、Centro-Oeste(中西)、Sudeste(南東)、Sul(南)の5地域に分けられている。

●民族構成 白人系55%、混血38%、黒人系6%、アジア系ほか先住民1%。

●宗教 国民の大部分がローマ・カトリック。ほかにプロテスタントやユダヤ教、アフリカ起源の民俗宗教(カンドンブレーほか)など。

●通貨単位はレアル(またはヘアル。複数形だとヘアイス)で略号はR$。レアルの補助単位としてセンターボがあり、R$1=100センターボ。2007年10月現在、US$1=R$2。

●その他(おもな産業)

世界の生産量の3分の1を占めるコーヒーをはじめ農作物、鉄鉱石、砂糖、工業製品など。日本へは鉄鉱石、アルミ、コーヒー、大豆などが輸出され、日本からは機械類、自動車部品などが輸入されている。

●気候 南半球の国ブラジルの夏は11〜4月、冬は5〜7月だ。北部地方のベレンやマナウスの熱帯地域は年間気温が24〜35℃と高く、ほとんど一年中蒸し暑い。一方、南部のリオなどは亜熱帯地域で1・2月が最も暑く、雨も多い。サン・パウロから南は温帯に近い亜熱帯地域。リオに比べて年間3〜5℃低く、冬には霜が降りたり、ひょうが降ったりもする。ブラジリアやパンタナールのある中部の内陸部は雨期と乾期があり、乾期には湿度数パーセントというカラカラに乾いた日が続く。日中の気温は高いが、朝晩はかなり冷え込む。北は寒くて南は暑いという日本とは逆に、ブラジルは北へ行くほど暑く、南へ行くほど涼しい。

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 南米大陸の約半分を占めるブラジル。日本の約23倍、ロシア、中国、カナダ、アメリカと並ぶ世界第5位というその広大な国土は南西南北に広がり、都市と都市との間には、今なお無人地帯が果てしなく続いている。

気候ひとつとっても、南部と北部ではまったく違い、中南部は平地が多く、パンタナールの湿原や大草原があり、南東部には山岳地帯がある。いっぽう北部は、アマゾン河流域とブラジル高原からなり、熱帯樹林に覆われた人跡未踏のエリアも多い。

人種構成も、白人系55%、混血38%、黒人系6%、黄色人系1%といわれるが、古くから、先住民と白人、黒人が混血を重ねてきたうえ、ポルトガル人、イタリア人、ドイツ人、日本人、アラブ人など数多くの移民を受け入れてきたため、今では人種が入り乱れ、正確なところは不明。

○サンパウロ(首都)

サンパウロ市 (Cidade de Sao Paulo) はブラジル南東部、標高約800mの高台に位置するサンパウロ州の首府。大サンパウロ圏の人口は約1,100万人(2001年)で東京やメキシコシティ、ニューヨーク、ロンドンなどに次ぐ世界第5位の都市で、これらの都市とともにトップ水準の世界都市とされる。

 ブラジル最大の都市で南半球最大の都市であり、南米を代表する世界都市である。市街地には高層ビルが立ち並ぶ大都会で、ブラジルのみならず、南米の経済、文化の中心地の一つである。

イタリア系やユダヤ系、日系ブラジル人が多い他、最近では韓国などのアジア諸国からの移民が増えている。内陸に位置するため、南方60kmの位置に在るサントスを外港とする。

「サンパウロ」は、ポルトガル語でキリスト教における聖人の1人である聖パウロの意味。漢字では、"聖市"と表記される。


歴 訪 概 要

【ペルー1日目】(リマ市)

6月13日(金)23:55 ペルー・リマ着

空港では外務省在ペルー日本国大使館 宇田川領事、田原副領事に出迎えていただきました。

入国手続き後、現地ガイド野田さんの案内で、宿泊ホテルのシェラトンリマホテルへ。

【ペルー2日目】(リマ市)

6月14日(土) 9:00〜

 八谷マヌエル氏(八谷オスカル会長の父)が、ホテルまで出迎えていただき、その後リマ市内(パチャカマック遺跡、大統領府、アルマス広場、カテドラル、天野博物館、海岸公園等)を案内してもらいました。また、途中、八谷氏の自宅(天理教リマ支部)にも立ち寄り、奥様からおいしいお茶を入れていただきました。

 特に天野博物館では、休館にもかかわらず開けていただき、ペルーのチャンカイ文化のユニークな土器と高度な織物技術を目の当たりにすることができました。

 夜7時半からは、リマ市内の中華料理店でペルー佐賀県人会の皆様から歓迎会を催していただき、交流を深めた。県議会からはお土産として、佐賀錦で「おしどり」をあしらった額を送り、参加者全員に、有明海苔、小城羊羹、あめがた、黒棒などの佐賀のお菓子を送り、県人会からは銀製のインカ風のペーパーナイフをいただきました。

 2世の方の中には、戦後、「勝ち組・負け組」の対立の影響で、母国語である日本語を学ばせて貰えなかったことが残念だと言われる方もおられ、当時の傷跡が深いことが伺えました


   (パチャカマック遺跡にて)
   


   (ペルー佐賀県人会の皆様と)
   

※注)ペルー3日目〜5日目(6月15日(日)〜17日(火)午前中)は、リマからクスコに行き、近隣の遺跡等の視察を行いましたが、経費節減の観点からも自己研修と位置付けたため、交通費・宿泊費等、公費を使わず全て私費対応としました。

【ペルー3日目】(クスコ市)

6月15日(日) 7:00〜

 リマから飛行機でクスコへ向かう。予定通り昼前にクスコに到着しましたが、3400bという高地であるため、高山病対策としてそのままホテル(ノボテルホテル)で休息。

 夜は、ホテル前の日本レストラン(以前は佐賀の人がオーナーだった)の眉山(マユヤマ)で、焼肉定食などを注文。(高山病なのかあまり食が進まず、アルコールも秘書の吉田君と二人でお銚子1本でした)

   (二人でお銚子1本!)
   



   (クスコ市内の石造りの町並み)
   



【ペルー4日目】(クスコ市〜マチュピチュ〜クスコ市)

6月16日(月) 5:30〜

 マチュピチュ遺跡へ向かうため、乗り合いバスで約1時間かけてオリアンタイタンボ駅まで行き、そこからペルー鉄道のビスタドームで、アグアス・カリエンテス村で下車。

バスで20分昇ると、そこがマチュピチュ遺跡への入り口となる。

     
  (総面積5kuの2/3を占める段々畑と背後の山々が印象的なマチュピチュ遺跡)


【マチュピチュの歴史保護区】

複合遺産
(文化、自然の両者の価値を兼ね備えた遺産)
     1983年12月9日登録

尖った絶壁の山々がそびえるウルバンバ渓谷の山間、標高2,280mの頂上にあるマチュピチュ。マチュピチュとは老いた峰を意味します。山裾からはその存在を確認できないことから“空中都市”とも呼ばれるこの遺跡は、スペイン人から逃れるために、あるいは復讐の作戦を練るために、インカの人々が作った秘密都市だったともいわれている。

マチュピチュの総面積は5平方km、その約半分の斜面には段々畑が広がり、西の市街区は神殿や宮殿、居住区などに分かれ、周囲は城壁で固められている。

16世紀半ば、インカの人々は高度な文明が栄えたマチュピチュを残し、さらに奥地へと消えてしまう。その後400年以上にわたって人の目に触れることなく、1911年にアメリカ人歴史学者ハイラム・ビンガムが初めて見た時には、草に覆われた廃虚となっていた。マチュピチュにまつわる多くの謎は、未だに解明されていない。



(水 汲 み 場)              (不規則で精巧な石組み)



( 太 陽 の 神 殿 )



石を削り、サイフォンの原理を使って、遺跡を隅々まで流れる水路と、カミソリの入る隙間もないと言われる花崗岩を使った石積みなどで、当時の高度な文明が偲ばれました。

 気候はジャングルに属するため、雨は多く、この日も遺跡に着いた10時頃は雨でした。

 なおマチュピチュ遺跡はペルー文化庁が管理していますが、訪れる観光客は、毎年うなぎのぼりで、入場料も45ドルと破格。

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帰りは、クスコ駅まで直通のビスタドームに乗車。

 社内では、軽食が振る舞われたほか、乗務員さんによる山岳民族の踊りや、名産のアルパカ製品(セーターやショール等)のファッションショーがあり、お客さんの喝采を浴びていました。

     (列車の乗務員さんたち)
   


 夜は、前の日に目を付けていた、クスコ中心広場近くの韓国風レストランに行くも、「焼き肉はない。オムライスかカレーはできる」と言われ、やむなく別のレストランに入り、地元の名物のアンティクーチョ(牛ハツ串焼き等)やアボガドサラダを注文。

あとはゆっくりホテルで休みました。(高山病なのか、まだ食欲が戻らず)


     (名物のアンティクーチョなど)
   


   (クスコ市内から見えた南十字星)
   


【ペルー5日目】(クスコ市〜リマ市)

6月17日(火)  9:00〜

 クスコからリマまで戻る予定の飛行機が3時間遅れるとのことで心配したが、出発が遅れていた早朝便に乗ることができ、午後2時頃リマ市内へ。

【ペルー5日目】(リマ市)

6月17日(火) 14:00〜

 八谷オスカル会長らと、在ペルー日本大使館、ペルー日系人協会会長、日本人移住史資料館、数年前にできたばかりの日系病院等を表敬訪問しました。

 目賀田大使からは、外務省が昨年から取り組みをはじめた「地方との連携強化」の説明もあり、今後は「地方と外務省の協働事業」を広げていきたいとの発言がありました。

 夜は、会長さん親子と、熊本県出身の方がオーナーの「一番」というお寿司屋さんに行き、寒流の大西洋で獲れた、脂がのった魚をいただきました。

   (在ペルー日本国大使館 目賀田大使と)
   


   (ペルー日系人協会 常重会長と)
   


【ペルー6日目】(リマ市)

6月18日(水) 6:30〜

ペルーからブラジルへ行くために、早朝空港へ。年間30oしか降らないリマで、珍しくワイパーを使うほどの雨が降りました。

空港では、再び、外務省在ペルー日本国大使館 宇田川領事等に出迎えていただき、出国手続き等を手伝っていただきました。


   (珍しい雨が降ったリマ市内)

   


【ブラジル1日目】(サンパウロ市)

6月18日(水) 17:00〜

 夕方5時にサンパウロ空港に着き、ブラジル佐賀県人会の吉村会長、井上相談役等の出迎えを受けました。

 ホテルにチェックインした後、市内の日本料理店で県人会の役員さん達が歓迎会を催していただきました。

 志田副会長さんから勧められたお酒「カイピリーニャ(ポルトガル語で「田舎の娘」)」は、地元の蒸留酒に、砂糖とライムがたっぷり入ったもので、地元の名物とのこと。


   (市内へ向かう途中で見た夕焼け)
   


(ブラジル佐賀県人会役員さん達との歓迎会(サンパウロ市内の日本料理店))
   
               (右から志田副会長、辻前会長、西山副会長、井上相談役)

【ブラジル2日目】(サンパウロ市〜イグアスフォールズ市)

6月19(木)  5:30

 イタイプーダム等の視察のため、空路イグアスフォールズへ。予定より出発が約1時間程度遅れたが、まずイグアスの滝(ブラジル側)へ行き、昼食をとった後、イタイプーダムへ向かいました

ダムへは、パラグアイとブラジルの両国が共同で行っているダム見学ツアーに参加。

最初にビジターセンターでビデオにより、ダムの構造、建設に至った経緯、建設工事の状況、更にはダム事業によって生じる地域振興の現状等を学習した後、専用バスで、発電機や展望台などのダム見学を行いました(1時間半程度)

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(以下、視察概要)

[イタイプーダム]

○概要

パラグアイとブラジルが共同建設で1975年に着工し、1991年に竣工した世界最大級のダム。

・高さ196メートル。最大落差95メートル。全長8キロ。

・総貯水量290億立方メートル。貯水池面積1350平方キロメートル(琵琶湖の約2倍)

その発電出力は1,260万キロワットで日本の原子力発電所10基に相当し、2006年現在、世界一の出力を誇る水力発電用ダムである。

中国で建設中の三峡ダム完成(2009年予定)後も、年間の発電量は世界最大を誇る。

2006年現在、パラグアイ側とブラジル側合わせて計18基の発電機を備えるが、現在新たに2基を増設中で、建造中のこの2基が完成した後の発電出力は1,400万ワットに達する見込みである。

2023年までで建設にかかる借入金が返済が終わり、その後は、周辺国への電力の売却が可能となる。

○地域等へ支援事業

・漁業への支援(ダム内に生簀設置の許可をしており、地域漁業への補償の一環としている)

・農業への支援(周辺耕作地の整備)

・地域への支援(雇用・福利厚生、職業訓練、イグアスの滝施設の整備等)

・自然保護(ダム建設地にいた野生動物等を保護するための動物園を設置)

・そのほか、様々な基金事業を行っている。

   (イタイプーダムの全景)
    

【ブラジル3日目】(イグアスフォールズ市〜サンパウロ市)

6月20(金)  8:00〜

 午前中に、アルゼンチン側からイグアスの滝を見学。


   (滝と遊覧ヘリコプター)

   


午後から空路でサンパウロに戻り、午後ブラジル入りした古川知事、佐賀新聞社の中尾社長と合流し、夕方のブラジル佐賀県人会との夕食会に参加しました。


   (石丸議長が乾杯の音頭)
   


   (名物シュラスコ(焼き肉)料理)
   


【ブラジル4日目】(サンパウロ市)

6月21(土)  9:00〜

 サンパウロ市内の露天朝市の見学後、ブラジル佐賀県人会会館を訪問しました。

 会館に併設されている「葉隠館」での剣道の稽古を見学。

 その後、会館2階の会議室で、佐賀県への技術研修生との懇談会に出席し、意見交換を行いました。

   (露天朝市の見学(古川知事と))
   


   (3年前に植樹した木の横で(県人会館前))
   


   (剣道を指導している岸川ご夫妻と)
   


   (研修生の皆さんとの懇談会)
   


 昼食後、午後4時から開催された「ブラジル移民100周年記念式典」に出席。

 式典の名誉会長である皇太子殿下や、実行委員長の麻生太郎代議士も参加され、参加者が数千人にも及ぶ大規模なもので、サンパウロ市内のカーニバルにも使われる両側に巨大な桟敷席がある会場で、ブラジルらしい出し物が多いパレードが昼過ぎから小雨の降る中で、間断なく続いていました。

 皇太子殿下が見えられた4時半ごろからは雨も上がり、鮮やかな夕焼けの中、式典はすすみ、皇太子殿下のお言葉に、日系人はもちろん多くの人が感激の拍手を送っていました。

更に、日本の海上自衛隊とブラジルの軍隊のパレードが行われる頃には、盛り上がりも最高潮になったようでした。


   (皇太子殿下と麻生太郎氏)
   


   (石丸議長と吉村県人会会長(右隣))
   


 式典後は、古川知事とサンパウロ州知事公邸でのレセプションに参加した後、県人会の皆さんと、ダンスホールがあるレストランで会食しました。


【ブラジル5日目】(サンパウロ市(最終日))

6月22(日)  9:30〜

 サンパウロ市内のイビラプエラ公園にある開拓先没者慰霊碑をお参りした後、イピランガ独立公園など市内を散策しました。

   (慰霊碑参拝)
   


   (ブラジル・サンパウロ市内の独立公園にて)
   


 お昼は、県人会館にある「葉隠館」で約50名の県人会の皆さんに盛大な送別会を開いてもらい、各テーブルを回って参加者と懇談しました。

県議会からはお土産として、佐賀錦で「めじろ」をあしらった額を送り、参加者全員に、有明海苔、小城羊羹、あめがた、黒棒などの佐賀のお菓子を送り、非常に喜んでいただきました。なお県人会からはブラジルの石でできた記念品をいただきました。

 最後まで、県人会の皆さんと名残を惜しんだ後、先に帰国する知事とあわせて、会館を後にしました。

   
   
(県人会の皆さんとの歓談)
   


 出発まで時間があったので、空港に行く途中、地元のプロサッカーチームの名門、サンパウロFCのスタジアム(収容人員7万人)などを見学した後、空港へ向かう。

 空港では、先に知事を見送られた役員の皆さんが、まだ待っておられており、入国審査の入り口に、見えなくなるまでお見送りをしていただき、ブラジルの日系人の皆様の優しさと一途さに感激しました。


   (サンパウロFCスタジアムで)
   


   (見送りに来ていただいた県人会の役員さん達)
   

■Last updated 2008/08/26
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